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古代核戦争説とは

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 オーパーツを語るうえで、やはり「古代核戦争説」は外せないと思います。

 なぜなら、オーパーツを突き詰めていくと最終的に「人類史以前に地球に異星人が来ていた」という結果に行き着くからです。

 という事で、「古代核戦争説」の概要を簡単に紹介します。

<合わせて読みたい関連記事>

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【保存版】年代別オーパーツまとめ

地球の歴史とオーパーツ

 

 古代核戦争説とは

 地球上には四大文明はおろか、現在の文明をも凌ぐ「超古代文明」が存在していたが、核戦争によって跡形もなく滅亡。現在最古と考えられている文明はその後に再興してきたものに過ぎないと主張する説。

主唱者

イギリス:デヴィッド・W・ダヴェンポート

イタリア:エットーレ・ヴィンセンティ、ピーター・コロシモ

日本:橋川卓也

 

 肯定論者は、多くの神話(『創世記』、『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』など)の描写には古代宇宙飛行士説 と核戦争と解釈可能な記述があると主張しており、モヘンジョダロなどにおいて核戦争の痕跡と思われるオーパーツもいくつか発見されていると主張している。 しかし、その多くは恣意的な解釈であり物証に乏しく、また長期にわたる気候変動などを度外視した主張である等、学術的な議論には達しておらず、一般的な歴史学会及び考古学会からは相手にされていない。

 肯定派の主張  

文献による考察

 核爆弾が空中で爆発すると、数百万度という超高温の火球が発生し、超高温の熱線と致死量の放射線が周囲に放散される。同時に空気が急激に加熱されることで爆発的に膨張し、強力な衝撃波が発生する。この衝撃波が地表に達すると、地表の土やほこりが大量に舞い上がるため、地表ではあたり一面が暗くなる。

 さらに、核爆発時に伴う放射線によって土壌等が汚染され、高い放射能を帯びるようになる。 紀元前10世紀頃に起きた大戦争を語り伝えた「バラタ族の戦争を物語る大叙事詩」を意味する『マハーバーラタ』をはじめ、古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』、『リグ・ヴェーダ』には、この大気圏内核爆発を想像させる記述が見受けられる。

 

• 超高温の火球=太陽が一万個集まった光り輝く柱

• 強烈な熱線=池の水が蒸発、猛火に焼かれた木々のように倒れる戦士たち、火傷で逃げまどう戦象、灰と化す住民

• 衝撃波=恐ろしい風、うなる雲、揺れ動く太陽

• 衝撃波で舞い上がる土ボコリ=方向感覚を見失うほどの濃い闇

• 放射能汚染=髪の毛や爪が抜け落ちた死体、毒された食物、鎧を脱ぎ捨てて体を水で洗う生存者

 

 以上のように、記述は極めて具体的で、原爆投下後の広島の被害状況とも酷似しており、とても想像だけで書いたとは考えがたいというのが肯定論者の主張である。

 モヘンジョ・ダロ遺跡

 インダス文明の古代都市モヘンジョダロの遺跡は周囲約5平方キロの広大な遺跡であるが、現在発掘が進んでいるのは全体の約4分の1の地域である。 遺跡で見つかった白骨死体46体は、突然死がやって来たような状態であった。その内の9体には高温にさらされた跡が残されていた。 また『ラーマーヤナ』の記述に基づき、戦争の年代と場所とを特定した研究者によると、炭素14の分析によって、戦争の発生期間を紀元前2030年から紀元前1930年の間と特定したものの、モヘンジョダロにおいては約400年程度の食い違いが見られるという。このズレの可能性としては放射能の影響が強く考えられるが、未だはっきりしない。 古代核戦争の研究者ダヴェンポートは、発掘対象からはずれていて、現地民が「ガラスになった町」と呼んで近付かない場所を訪れたと報告している。 そこは、黒いガラス質の石が、周囲約800メートル四方を覆い尽くしているという場所で、これらの石片は、高熱で溶けた砂が再固化したものと判明しており、その正体は*1テクタイトであるとされる。    

 この付近では、他にも溶けてくっついたレンガや、ねじ曲がり気泡が混じるなどしてガラス化した壺の破片等の遺物も見つかっている。これらの遺物やガラス化現象については、大規模な火災や火山噴火等の諸条件が偶然重なって起きた稀な現象であるというのが、一般的な考古学者の見解であるが、モヘンジョダロ遺跡のあるインダス川流域において、それほどの大規模の火山活動の痕跡は一切確認されていない。

 このように広範囲の砂が溶けてガラス化すると云う現象は、これまで自然界では全く見つかっておらず、同様の風景は今のところ地表で核実験の行われた場所(砂漠)でしか確認されていない。

 また、壺が原形を保ちながら溶けかかった状態で固まるという現象は、超高温の熱線が極めて短時間に照射された状況を想定しない限り考えにくい。

 なお、広島市にある広島平和記念資料館には、これらの遺物同様半ば溶けかかりながらも原形を留めたガラス製の一升瓶や、表面のみが溶けた瓦などが展示されている。 ダヴェンポートは、モヘンジョダロで発見された遺物をローマ学科大学へ持ち込み、ブルーノ・デイ・サバティーロ教授(火山学)やアムレート・フラミーニ教授(岩石学研究所)らに分析を依頼した。その結果、問題の遺物は約1000度から1500度の高温で短時間に加熱されたという結果が出たと報告している。

 否定派の主張

モヘンジョ・ダロ遺跡

 まず、モヘンジョダロが核攻撃されたのであれば、モヘンジョダロに高度な超古代文明の痕跡を求めることは無意味である。なぜならば、攻撃者側の文明に核兵器の開発可能な、高度な科学技術が存在するのであって、攻撃された「モヘンジョダロ」にそうした高度な文明があったわけではないからである。

 また、核爆発による影響があまりにも局所的である。ただ一部のレンガのガラス化現象だけで、核爆発の発生は説明できない。

 そもそも、どの文明が核兵器を開発したのかをまず証明すべきである。

 捏造の可能性

 他のオカルティスト達の標的となっている遺跡のように、証拠とされる品物が、実は「発見者」や「オカルティストたち」によって捏造された可能性である。発見者のダヴェンポートは、この「ガラスになった町」を「地元でタブーとされている場所」として、その正確な場所を明らかにせず、その存在を第三者が確認したわけではない。

 インダス文明を研究する考古学者の近藤英夫教授(東海大学)はNHKの取材で、このガラスになった町について「モヘンジョダロは何度も訪れたが、見たことも現地で話を聞いたこともない」とコメントしている。

 ダヴェンポートの発表当時とは違い、現代ではGoogle Earth等でモヘンジョダロ周辺の衛星写真を簡単に閲覧できるが、約800メートル四方もの広さのある(とされる)「ガラスになった町」らしきものは一切確認できない。

 「ガラスになった町」が実在しないのであれば、そこから発見されたという遺物の信憑性も失われることになる。

 現地で発見された遺体についても、モヘンジョダロはインダス文明期以降も、洪水や火災等が原因で興亡を繰り返していたことがわかっており、一時期は廃墟化していたことさえあった。そのため、放置された遺体が見つかっても別に不思議ではない(上記の伝承も、通常の大火が誇張されて伝わったものと考えても齟齬はない)。

(引用:Wikipedea)

*1:隕石衝突で発生する天然ガラス